わずか五寸ほどの、なんてことのない青白磁の小皿だと思っていた。
ところがところが、のせた料理の映えることと言ったら。この写真のごとくである。
ソーサーのように内側に段差がついてあり、まるで食材の為の小さなステージになって、料理をしっかり引き立ててくれる。
シリーズであるらしく、次は八寸あたりも是非欲しい。 |
私は、この瓔珞紋にとても弱い。いや、弱すぎて困っている。この柄を見るとたとえ人の物でも欲しくなる。実際、無理を言って譲ってもらった器さえある。
料理屋のカウンター越しに「あの器で食べたい!」と言うことさえある。迷惑な客であり、連れだ。
さて、今日は朝からゴーヤサラダにすだちを添えて、昼は冷製パスタで夜はトレビスとヒレカツにしよう。
まるで骨董のような佇まいのある器だ。 |
朝は温かい汁物があるとほっとする。
起きぬけの体に白湯を一口、そして夕べから煮込んだ具だくさんのスープや柔らかな絹ごし豆腐のおみそ汁。汁物ならなんでもOKだ。
漆の椀やスープカップを出してもよいのだが、夕べのうちに洗ってふせておいた出しっぱなしのこの器を碗にすることが多い。
用途外の器に盛られることで、特別な料理に見えることがある。イタリア料理のタコのトマト煮をこの器に小さく盛った時も、とても新鮮で印象的だった。
(写真はミネストローネを入れた時のもの) |